お祭りには欠かせない!夏を彩る花火の歴史
夜空を彩る夏の風物詩「花火」
夏にはあちこちで花火大会が開かれ、毎年華やかな催しとして親しまれていますね。
線香花火などの手持ち花火から、お祭りなどで見られる派手な打ち上げ花火まで様々なタイプがありますが、そもそも花火はいつからあるものなのでしょうか。
いつからあるの?まだよく解っていない花火の歴史
花火がいつ、どこで誕生したのかについては諸説あり、実は正確な起源のというのは未だ明らかになっていません。
一般的には中国にそのルーツがあるのではないかと言われています。
中国の南宋(1127~1279)という時代に爆竹に近い花火が親しまれていたという資料が残っていたり、観賞用の花火としては14世紀のイタリア・フィレンツェで祝祭の花火が上げられたという史料が残っているようですが、現在でも詳細については不明です。
16世紀頃、イギリスのヘンリー8世がテムズ川での水上花火を楽しんだという記録があり、その頃にはおそらく現代に近い花火になっていた可能性がありますね。
日本で花火を見たのはあの有名人かも?
そんな花火、日本で見られるようになったのはいつ頃からなのでしょうか。
残念ながら日本で最初の花火がどこでどのように使われたかも、まだ解っていません。花火ってまだまだ謎が深いもののようです。
織田信長について書かれた『信長公記(しんちょうこうき)』という史料のなかに、「御爆竹の事」という記事があり、これが日本最初の花火ではないかとも言われています。
新しいもの好きで知られた織田信長が、日本で最初に花火を目にした人物なのかもしれません。
庶民が花火を見られるようになったのはいつ頃?
日本最古の花火大会である隅田川の花火大会が始まったのが享保18年(1733)です。
江戸時代が終わって戦で火薬を使う事がなくなり、これまで武器としての火薬を扱っていた火薬屋たちは、観賞用の花火を扱うようになりました。
隅田川花火大会は当時「両国川開き」と呼ばれていました。
両国の花火の起源について、墨田区のWebサイトから一部ご紹介します。
毎年夏に開催されている隅田川花火大会は、隅田川の夏の風物詩として多くの人々に親しまれています。
その起源は古く、8代将軍・徳川吉宗の時代、享保18年(1733)5月28日に催された最初の両国川開きにまで溯ることができます。両国川開きは、当時の大飢饉や江戸に流行した疫病による死者供養と災厄除去を祈願して行われたものですが、この川開きの初日に花火が打ち上げられたのです。以後、両国の川開きと花火は、若干の断絶期を挟みながらも、昭和36年(1961)まで続けられた江戸・東京を代表する年中行事と言えます。
また、昭和53年(1978)には、隅田川花火大会と名前を変えて復活し、今日に至っています。
今ではエンターテインメントの要素が強いですが、もともとは、災厄除去を祈願して行われたものだったのですね。
「玉屋ぁ~、鍵屋ぁ~」っていうあれは一体なんの事?
お察しの方もいらっしゃるかもしれませんが、「玉屋」「鍵屋」は江戸を代表する 花火屋さんです。
鍵屋の方が先にあり、玉屋は鍵屋が6代目になった文化7年(1810)に鍵屋から番頭が独立して看板を掲げたのが玉屋です。
大川の上流を玉屋が、下流を鍵屋が受け持つことになり互いにライバルとして切磋琢磨していました。当時、玉屋の方が花火の色・形が良く断然人気だったようです。浮世絵に描かれた花火も玉屋のものが中心だったと言われています。
しかし玉屋には悲しい歴史も。
天保14年(1843)に玉屋は店から火事を出してしまい、その火の手は店を全焼しただけでなく周辺地域へも飛び火し大火事となってしまいました。
当時、火事を起こした罪は情状酌量されるものでしたが、奇しくもこの火事の日が将軍家慶の日光参拝の前日であったため、玉屋は江戸を追放され、家名も断絶という大変厳しい処分を受けたのです。
今でも名残で「玉屋ぁ~、鍵屋ぁ~」と叫んだりしますが、こうしたエピソードは意外に知られていないものですね。
手持ち花火の定番、線香花火
線香花火は大人から子供まで楽しめる手持ち花火。どこか儚げな感じが、また良いですね。
線香花火の登場は江戸時代。当時は細い藁(スボ)の先に火薬をつけたものを香炉や灰にさし、立てて鑑賞していました。はじめは手もちの花火ではなかったようです。
その様子がお仏壇に供える線香のようだったので「線香花火」と呼ばれるようになりました。
バースデーケーキにろうそくのかわりに線香花火のように火花が散るものを立てる事がありますが、あのようなイメージかと思います。
線香花火は、西日本と東日本でちょっと様子が異なります。
西日本では「スボ手牡丹」、東日本では「長手牡丹」が一般的。
「スボ手牡丹」は江戸時代の線香花火と同じスタイルのもので、藁(スボ わらとも読む)の先に火薬をつけたもの。
一方「長手牡丹」は和紙を撚って火薬を包んだタイプです。
江戸では藁が手に入りにくかったため、次第にこの長手牡丹に切り替わっていったようです。
お祭りには欠かせない!夏を彩る花火の歴史 まとめ
知ってるようで知らない、花火についてお話してきました。
2020年は花火大会が中止になってしまったりと少し寂しくもありますが、線香花火をじっくり楽しむのも良いかもしれませんね。筆者もダイナミックな花火を楽しめる日が早く戻って来ることを願っています。
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